藍マイヒストリー①

 

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 Gパンを初めて買ったのは中3(1971年)の時です。

 

ジーンズでなくGパンです。

 

エレキギターの神様といわれた寺内タケシ率いるバンドのバンド名ブルージーンズがいったい何を指してるかはたぶん世間的にも知られていなかったんですね。

 

このバンドはファッションリーダーとはほど遠い、きわめてムード歌謡曲臭のあるバンドでしたから(なんと活動中!)だから本来のブルージーンズという言葉は永い間、たぶん誤認識を怖れて服飾業界で使われなかったと思います。

 

ワンピースが女性の服なのか漫画のタイトルなのかくらいのイメージギャップですからね。

結成11年後の1973年に登場したのがジーンズ刑事でなくジーパン刑事だったという事がその証拠ですか。

f:id:sizumeya:20141120171246p:plainじーぱんとしんこはね、、、

 

前年1972年にはショーケンこと萩原健一

[ブルージンの子守唄]という曲を出しています。やはりブルージーンズでなくブルージンです。

 

自分はどうしてもアメリカ人が履いてるようなGパンが欲しくって、、、当時は立川米軍基地の名残りで、立川には外人が多かったんです。

 

訪ねたのは一橋学園にある放出品も扱うような小さな洋品店です。カクタスとかビッグジョンの看板が妙にバタ臭くて、意を決して入店、ボブソンのブルージン(笑)ストレートタイプを試着ののち買いました。

 

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カクタス! なんか好きでした。これは37インチ!

 

 

ボブソンは3千円位だったと思います。嬉しくて大人になったような気分でしたが、ケツ合わせジャストフィットで32インチは、あとの部分がゆるくて様にはなりませんでした。ケツの大きさだけ大人だったんですね。大事にしていたんですが、さすがにとうに親に捨てられたようです。

 

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7年前にヤフオクで3千5百円でゲットした、おそらくその当時のモデルを入手しました。

スリム仕様です。赤ミミです。それにしても、これだけの時を経たというのにバナナと豆腐と卵とジーンズの安さには驚きます。

 

今でこそボブソン(倒産!)やビッグジョンやエドウィンはなんかみじめな地位ですが、自分が高校の時分はリーバイスを超えて最高峰でした。

と、いうよりリーバイスはあまり店に置いてませんでしたし、興味も出なかったですね。ちゃんと注目していればビッグE(このあとLEVISという赤いフラップがLeVISに変更)と呼ばれる最後の大物をしこたま買い溜めできたんですが、、、

 

 この時代のリーバイスの存在は今のハーシーズチョコみたいなイメージですか。

本場っぽいのに食指が動かない失礼)

 

国産品のようには控えめで洗練されていなくて、甘くて臭くってね、、、スイマセン。

 

 

なぜ20年経って、オールドリーバイスの価値が急上昇したんでしょうか?

この辺は章を変えて後述したいですね。

 

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中学卒業です。左から2番目です。

 

 ともかく3社の後にマッキャンベル、カクタス、ビッグストーン、キャントンなんてブランドがひしめいていて、高1の頃(1972,73年)は2ヶ月に1度吉祥寺のアーケード街わきの横丁にあるGパン専門店にチェックに行くのが楽しみでしたね。

 

昭島にある自分の高校はなんと私服だったんで、したり顔で入学式から黒いスリムのGパンを履いて行きました。

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いわゆるツッパリという不良や先輩や朝鮮学校(近所)の人たちによく絡まれなかったものです。

 

サル山のボス争いみたいに1972年頃の東京は殺伐としていて、駅にはたいがいワルがたむろっていました。

 ウンコズワリ、、、、、、f:id:sizumeya:20141121231352p:plain

自分は不良ではなく、ほとんど喧嘩した事のないいわばヘタレ野郎なんですが、とてつもなくいかつくて怖い老け顔だったんですね。その上私服だから、どうもすでに高校生に見えなかったみたいで難は逃れてました。

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この風防でオフロードです。ホンダSL175。高3時ですねブラックジンにスイングトップです。スイングトップは立川でけっこう捜しましたがなかなか無くって、やっとダサい用品店で買ったこいつは、、、ゴルフ用みたいです。

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こ、これは現在!

 

新入時黒いジーパンで登校した、と書きました。

しかし担任に朝礼後、友人中谷君と二人残されたんです。

「そのズボンは何だ」と。数学教師池谷先生(推定36歳)は激高していました。「それはジーンズパンツといって、戦勝国米軍が持ってきたモノだ。多くの日本人のヒンシュクを買うし、相応しくない!」

 

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これはイージーライダーが公開された後の敗戦国日本で起きた本当のエピソードなんです。

「でも校則で禁止されてないですよね」と、自分。「校則以前の問題だ」池谷先生は譲らず、言い放って去りました。

 

「ジーンズパンツだってよ。ダセー」と友人.「あいつの着てる背広だって江戸時代の日本人から見たらヒンシュクだろ?]と、自分「でもどうするよ?」

自分はどうしても納得がゆかなかったので、翌日学校の長たる校長に直訴する事にしました。

校長先生は「Gパンが高校生に相応しいかどうか、、、個人的には相応しくないと思うが、それは君らの自由だ」と言ってくれたのです。

報告した後の池谷先生に苦虫を噛み潰した表情は忘れられません。ちなみに数学はずっと1でしたが、これは自分の能力のせいです。

 

 

 

そんな因縁の池谷先生と立川のホテルにおける同窓会で35年後に劇的な再会した時を果たした時も、、、、、やはり自分はGパンだったんですよ。

 

 コレですだ。

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これは全部が自分の改造ではないんです。9年前にヤフオクで写真を見て惚れ込んで購入した(5千円位だった記憶が)リーバイス501XXの復刻版です。

所々赤布で補修してある、、、出来栄えにいたく感心し、前任者の意思を受け継いでその方向を推し進めた感じですね。これは良く色落ちしたデニム地に派手な色がマッチする事を教えられた一品でありますね。ただし随所に布用ボンドが施してあるんで、怖くて洗っていません。

でも着用はここぞ、という機会だけだから3回位です。

 

 

同窓会で先生に昔の、例のエピソードを話しました。「僕、懲りてなくて今日もホテルのパーティでジーンズパンツです、、、」推定70歳の先生はニコニコ笑ってるだけでした。

 

表面は和解しても心の中ではこうでしたね。『あの時、僕は先生が憎むべき大人社会の弾圧の象徴でした。そして高校にジーンズを履き続ける事で父親世代に抵抗しました。ゴメンナサイという気持ちは今もないんですよ』

 

 

自分はとにかく表現を制限される、という抑圧が我慢ならないんですね。

勿論冠婚葬祭に於いてはジーンズでない黒服上下を着用、というジョーシキも心得ていますが、、、、、、

 

人を不快にさせる格好はいけない、という定義は俯に落ちないんです。

 

なぜ危害を加えられてもいない他人の服装に勝手に不快になるんでしょうか?表現の自由を認めないからですよね。

洋服ごときで、人格否定されたくない、と思っちゃいますよ。

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でも町田康さんがエッセイで、上下軍服を着た女性インタビュアーの来訪にはさすがに苦言を呈したくなった、というエピソードを書いてらしたを読んだ時には大笑いしつつ共感しました。

 

苦言をせずに手酌で酒を組みかわすうちに「拙宅はまるで兵営と化した」そうです。

ファッション雑誌に載っていたあの1ページのコメント(たぶんヤマモトヨージ論)は今もってマイベストエッセイですね。

 

自分の主張と矛盾してるようですが、違います。

肝心なのは許す、という事だと思うんですね。

家族以外のヤツに服装でケチつけられたかねース。