たしかにスキーをする意味って、、、無いな
趣味を人生の中でどう位置づけるのか、という深い問題です。
15年くらい前、叔父さんが鬱になりました。
何をやってもつまらない、と。情熱というか感情が湧かないそうです。
自分は共通の趣味だったスキーに誘いました。理屈抜きに楽しむのにうってつけだと思ったんです。
叔父さんは「高い所から低い所に行くだけで無意味だ」と言ったんです。
その意見をどう否定しようか考えていたら、、、、
叔父さんの言う通りかも、と思い始めました。
あれほどスキーやスノボに燃えていた自分が簡単に感化され始めている。
これは相当ショックでした。
滑り台、、、、大人で遊ぶ人はあまりいません。
何故でしょう。
階段を昇るのに見合う快感が得られないからです。
では、労力のほぼ無い高速リフトがあればどうでしょう?
3割位の人は滑りに興じると思います。
しかし、多分7割の大人はやりません。それは、、、、
得られる快感の多寡が、もう知れているから。
ふと飼っていた猫を想起しました。
あれほどムキになって猫じゃらしと格闘してたムシオが、1年後は面倒臭そうにお義理で手を伸ばしてくれてるカンジです。
2年後には醒めた目でこっちをチラ見して、体は微動もせずです。
亀みたいな省エネ動物になってます。退屈そうです。
あれは、、、、ウツ病ですよ。
まさか大人になるという事は、、、、そうなのか。
人間は最終的には鬱病へ向かう宿命だ、とツィッターで書いて病気の方に叱られた事があります。
ゴーウエストです。4千円位でしたが、ハチノス凄し!加工ではないです。
しかし叔父さんの件以来、自分はそう確信しています。
自分にとって趣味とはそれをなるべく遅延させる高速リフトに近いものです。
いや、今考えついたんですけど。強引でした。
でも退屈したくないですね。
なんとか3割の滑るほうの人間でいたい、、、、
仕事の行き詰まりとか金欠とか、母の介護とか、知人の不幸とか、友人トラブルとか、苦境の際に自分はどれほど壁やラックに吊るしてあるジーンズ群に癒されていることでしょう。
超救われています。
よくコレクターは死んだらお宝収集が無意味ではないか、と言われます。
自分の場合特に全部叩き売っても20万円以下の値かもしれません。
506初期シンチ40です。6万台!
死んだ後、それらをどうしたいか、というビジョンもないです。
いや、、、死ぬのが怖いんです。まあ、、多くの皆さんと同じです。
自分はジーンズに触れ、直し、買い、ついでに着用し、さらにジーンズ本や雑誌を読読むと、、、不思議と押し寄せる死の恐怖から完全に逃れています。
口さがない人は現実逃避と呼んでますがね、、、、。
ゲンジツヲ チョクシセヨ アニョハセヨ
迷ってばかりの人生でしたが、ジーンズを眺める目だけは迷いがないんです。
その目にしばしば狂いがあるだけです。
飽きたらどうしようか、なんて考えたくないですね。
「作業着をありがたがって飾っても無意味だ」
、、、、、いやー最初から重々承知ですし。
こういうのもヨイ趣味ではないでしょうか。
ゴーウエストはいいですね。最近のシャツアウト(外出し)でこのヒゲはだいたい隠れてしまうんです。
だからといって、インできないし、、、、、、。残念