ガッツ石松似のヤクザさんに話しかけられる。

あれはもう四捨五入すると40年近く昔の話です。

ジーンズのせいで、とんでもない凶悪な人物と知り合ってしまったんです。

当時、新宿歌舞伎町で働いていた自分は、小金井から新宿へ中央線で通っておりました。

 

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その日はお気に入りのビッグジョンのカーペンターというブルージーンズ、ニューモデルを履いておりました。そう、アメリカの大工さんが着用するような、右の腰下に金づちなんかを下げるフラップのついた、たしか左には物差しとかドライバーとかこまごましたギヤを入れるポケットのついた、ルーズな新種です。

このブログをはじめて再認識したんですが、自分は中学生時代から無意識にアメリカの50s文化をそれと知らずに欲しくなる傾向がありました。

ファッション雑誌を見たわけでもないのに中1でスタジアムジャック、中3でブルージーンズ、高1でMA1、高2でスゥイングトップと、探し求めたのはたぶん洋画の影響と思われます。漠然と憧れがコスプレの形をとったんではないか、と。

当時日本には、というか長崎屋とかには皆無で、場末の洋品店でパチモンしか入手できませんでした

カーペンターも探してる時、これだ!と飛びつきました。同時期にボウリングシャツも名称も知らずに探してました。そちらは見つからず、タカキューとかの半袖Yシャツの袖に、なんとアイロン裾上げテープ、ズボン用を施して、それらしく捏造していました。よもやボウリングの正装だったとは!中山律子さんは着てなかったので知りませんでしたよ。

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 カーペンターズといえば拒食症ですが、ビッグジョン・カーペンターパンツは虚飾性でなく実用性を配した作業着をわざと仕事以外で着る、という歪んだコンセプトだったと思います。

 

これはジーンズといえばスリムだった時代からの大きな革命で、たぶんトレンド的にもアイビーからヘビアイ(ヘビードゥーティアイビー)への移行期だったのでしょう。ダウンジャケットの大流行もこの1975年位からだったと思います。

 

さて本題です。

 

その日の午後3時、中央線でドア付近でよりかかっていた自分は何やら座席が騒々しい事に気付きました。2人組の男が、付近の乗客の誰に、ともなくわめいているのです。

労務者かチンピラか、という風情で、40代とおぼしき兄貴分の顔を遠目に見て、脱糞するほど絶句しました。

顔全体はガッツ石松に酷似でした。が、それより驚くべき特徴が彼の顔の中心に刻まれておりました。

 

刀傷です。顔の真ん中を横切るように両目の下3センチを鼻を横断する形の全長13センチ向こう傷!

深さはわかりません。昨日今日こしらえたものでないのはわかりました。

映画や漫画以外ではおよそ見かけないスカーフェイスです。

容貌のせいか、わめいたせいか付近の乗客は三々五々と散って行きました。だからつまらなくなったのでしょうか?

彼は離れたドア近くいた自分に、注目しだしたワケです。

蛇に睨まれた蛙状態だったか、というとそうでもなかったです。

ガッツ石松のような顔は傷があってもなんか憎めないというか親しみを感じるというか、、、、大丈夫だろう、という気がしていたので、逃げませんでした。

男を仮にガッツとしておきましょう。そういえばベルセルクの顔に傷を持つ主人公もガッツです。

ガッツが近付いてきます。ついに対峙です。弟分は3メートル距離を保って背後に立っています。

このときも自分はビビってはいません。やはり仕草がコミカルなんです。

ガッツはやおら、自分のジーンズの金槌フラップを掴んでくいくい引張るのです。

「最近はこういうのが流行ってんだよなあ」

そう来たか、という感じでしたので「さあ、、、」

といなしました。

 

ガッツは弟分に向かい「な、こういうのが流行ってんだよぅ」と、ファッション講義です。弟分の反応が薄かったのは言うまでもありません。アイビーからヘビアイ(ヘビードゥーティアイビー)への移行期だという補足する気にもならない無関心ぶりです。
以下、ガッツと自分の会話の応酬を記します。
 
「何て言うんだこういうの?」「カーペンターです。」
「かぺんた、、だとよ」「、、、、」
「お前、、、、人殺した事あるか?」「いえ」
「そうか、俺は、、、、あるで」「そうすか」
「こないだもよう。一人殺して、、、山に埋めてきたでや」「えー」
「こういうズボンじゃねかったから大変だったで」「あー」
「お前どこ住んでんの?」「三多摩です。」
「今度新宿に来たら寄れや、新宿●●会事務所によぅ」「は、、あ、、、」
 
こうして事なきを得て、新宿で別れました。住所が特定されたり、同じ新宿下車とバレないように、一度奥に移ってからガッツを見送って下車する程度の機転は自分にもききました。
 
あまりフレンドリーになるのは危険なのです。

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この話には後日談があります。2週間後、歌舞伎町でディスコ(死語)のビラを配っていた自分は子分3人を従えてコマ劇場前を大声で練り歩くガッツを目撃したのです。
いでたちは、やはりヤクザというには貧乏くさく、肩で風切る動作がどうにもやり過ぎで、滑稽ですらありましたが、歌舞伎町コマ劇前でのその行為はやはり彼がアウトローの世界の住人だと、再認識せざるをえませんでした。
しかし自分はやはりガッツの醸し出す個性と天然の演出力に脱帽しました。
その日は雨も降ってないのに、、、彼の腰ベルトには黒傘がまるで日本刀のように刺さっていたのです!
 
もののふです。
思わず物陰に隠れたのは言うまでもありません。
 

ジーンズがとりもつ縁、、、かぺんたのおかげで人の輪が広がりかけて、慌てて閉じたというお話でした。

 

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