藍マイヒストリー②
メーカー不明のGジャンのパッチ部分です。古着屋ではグレイスフルデッドと書いてありました。切り取ってワッペンに。
1970年を境に米国のヒッピー文化は衰退しました。文明を否定してすっぴんにパンタロンジーンズひとつで、あるいは裸で、男女グループが都会を離れた僻地にてドラッグを浴びて農作業をしながら共同体を形成する、、、
コミューンと呼ばれたそれらはみな、行き詰まりヒッピーは都会に逃げ帰りました。
教訓、遠いと敵からはどうぞ勝手にやれば、というカンジになる、、、、。
しかも彼らは文明否定しちゃってるからテレビすら観れないんです。
農作業だってそもそも動機が不純だから不勉強で作物が育たない。
最後の生き残りのヒッピーが「今は電子レンジが欲しい」と願う映画がありました。
フラッシュバックというデニスホッパーの2000年頃の映画です。
デニスホッパーが[アメリカの友人]で着たのもたしかこの
557です。色落ちがいいのが案外少ないです。コレは38か40でタイトですが最高の色です。5千円台でしたが、、美しいです。
日本でも原発否定するあまり、僻地でほぼ電気なしの生活をしてる人もいます。
言行一致という意味では立派です。
しかし人間らしく生きようと、オーガニック野菜にこだわる自然主義者が、がんが発覚するや否やなりふり構わず最先端科学医療にどっぷり頼る、、、、、、
ご都合主義だが、自分はこれもまた人間らしい、と思ってしまいます。
にんげんだもの。。。。。
傷天の小暮修(ショーケン)に憧れたのは彼が新宿を離れなかったからです。
自分も体制内アウトローに憧れ、漫画家を志し某デザイナー学院(夜学)に入学したのです。
でも漫画関連が苦手なアニメーション科しかなくて、、、、
ジーンズはスリムからストレート、ややフレアーに移行しています。
あれほどトラッドの普遍性をうたっていた雑誌が今度はニュートラッド(何じゃそりゃ?今見ると伸びるフレアーパンツの上下ゴルフ着)とかサーファーを打ち出してきたんです。
シレっと、、、、
実際はガ二股で足長くないです
この頃からファッションは己れの思想を表現する武器でなく、ただのおしゃれなのかも、と思えて来ました。自分が稚拙だったというより70sあたりには本当に服も若者の反抗手段でした。
クリスマスの度に儲ける山下達郎さんは今もって長髪です。
「僕らが髪を伸ばした理由はファッションなんかではないはずだ」と、断固として50年近く長髪なんです!竹内まりあも呆れているでしょう。
誰にでもできる事だが、実は最も難しい戦いです。
この50年クリスマスに東京に雪が降った事などないですが、全然許せますよ。
19歳の時、ジョージルーカスのアメリカングラフィティが封切られ、ロカビリーを軸とした空前のオールディーズ60sブームがやって来ます。
映画も感動したし、自分にはやはりコレか、と思い、てかてかのリーゼントにもしましたが、不良ではなかったんです。こんな顔だから紛らわしいですね。
吉祥寺で働いてました。サンロード内現マックの4階レストラン。屋上より
ぢーんずは?
50,60sの文化以外認めないライフスタイル、、、しかも勝戦国アメリカの作った物をアジア人ごときがありがたがる、という。池谷先生にまた怒られそうな嗜好です。
愛車スカイラインのベンチシート!当時でも旧車。洗えや
前にテレビで米国人が忍術研究で来日しました。
尊敬する人物は服部半蔵だそうです。日本人が皆忍者に造詣が浅いことを嘆いていました。
自分らも同様滑稽に映ったでしょうね。アメリカの人には。
矢沢永吉は断固反対したのに、ジョ二ー大倉に戦略的に勧められたというポマードべったりのリーゼント姿は、彼のみならず、不良やオールディーズや暴走族すべてひっくるめたバッドボーイズの象徴になっていきました。
デザイナーズ学院は長続きしなかった(中退)ですが、仲間が皆立川駅周辺の喫茶店に働いていたり、吉祥寺のディスコに繰り出したり、目標も定まらず無意味に集まっては漂っていた20歳前後は、切なくも楽しかったですね。
ジーンズはやっと、リーバイスやリーが主流になった気がします。
たぶんポパイやホットドックプレスの影響で本場もの以外認めない風潮になったのでしょうね。
未だブルージーンズは冬の時代(私的に)でしたね。
オールドリーバイスは手塚治虫か
557XXは7枚持ってます。でも平均買値は8千円くらい
ELVISとLEVISは同じ字の並べ替えです。
ジムジャームッシュの映画で「アメリカ人の目指す究極はエルビス」というような事を永瀬さんが言ってましたが、ジーンズを目指す人はだいたい昔のリーバイスを目指します。
リーや、ましてラングラーに行く人は少ないです。やっぱり歴史的意味と色落ちが断トツなんですよ。
リーバイス不動の4番打者が501XXです。
記念すべき
初めてのXXです。10年前に初ヤフオクで5万8千円でした。33インチでレングス84(長っ)パッチとタブが欠損ですが、隠しリベットだから本物です。地味だが美しいです。
501XXをあえて何かに例えるなら、、、、ビートルズでしょうね。
あえて?
全てにおいて革命的で偉大で野暮いんです。
ポールをダサい天才(名言)と呼んだのは天才桑田圭祐でした。
否定しても釈迦の掌の上なんですよ。それでいてジョンもポールもちっともセクシーじゃないんですから、、似てる。
で、リーバイス全般を例えるならここはロックンロールでしょう。
「ROCKは死んだ」と、ピストルズはのたまいましたが、何度死んでも蘇るのがロックンロール&リーバイスでしょうね。
原点回帰率ハンパねっす。
まるで火の鳥を読み返すみたいに、、、足と袖を通したくなる。
501XX(通称ダブルエックス)は50年以上前にコーンミルズ社の生地改変(?)で無くなりました。
旧式力織機が近代化で、もっと大量生産できる機械になったんでしょう。この時赤ミミと呼ばれるサイドシームの部分も脇割り縫いになりました。
基本作業着ですから、「オイ、コレじゃあ良いミミのあたりが出ないぞ」などという苦情は無かったんでしょうよ。
マイXXのミミのアタリです。お利口。
まるでジョンレノンが、射殺されたようなセンセーショナルな出来事です。
言いすぎました。
よね~よね~
501XX生地は未だに最高峰と言われています。
なんとXXには色的失敗作がほとんど無いらしいんです。
こいつぁ2本目(33インチ)です。4年前にヤフオクで6万円でした。ポケット部分に同色のレプリカを上あてしたので奇妙な表情です。結果誰も本物と思わないという、、、いざとなればすぐ外せるのが手縫いの利点です。
失敗がないという事は、目利きなら何も情報がなくて生地のみ見ても、すぐにそれとわかる位にXX以外とは違うのでしょう。
自分も3本所有してますが、オーラという獏としたムードでなく確かにヨイ、、、感じがします。
いやそう思い込みたい心理もあるでしょう。ウチの子らは安あがりですんでね。
それでも3本で13万円強です。
合体モデル、自称ブラックジャック以外は少し洗いすぎなんですね。失われたインディゴブルー、、、、こればっかりは取り戻せないんです。
勿論買ってからは洗ってませんし、あまり履きません。免許の書き換えに履いて行ったけど下半身は免許写真にも反映されません。
6年前、未明に仕事場アパートのすぐ前の家が全焼した時のことです。
寝ぼけ眼で眼前のオレンジの風景を見てパニって、財布持って外に飛び出したんですが、すぐに引き返して箪笥の中の501XXとGジャンセカンド(507)を握りしめ、表通りで隣家が燃え落ちるのを見守りました。
ひえー
結局そんな宝しか自分には思い浮かばないんですね(他にないか)
昔のリーバイスの生地がどれほど凄いのか、、、これは少しは自分にも説明できます。
上も下も4年前にヤフオクで同じショップから4万5千円の安値で落札した物です。これには少しからくりがあって、たしか肩幅表記52センチとあったんです。これは本当ならサイズ48(超特大)以上です。というか、、、見た事ないです。自分はオークションの小さい写真からバック身幅がつなぎ当てだからサイズ44以上なんだろうが、、、44(LL相当)だと判断しました。その通りでした。ジャストサイズ、、してやったりです。
前にリジット状態ではデニム生地がどう色落ちするか見抜けない、と書きました。
この2枚はリジットではなくたぶん洗濯2回程度の生地ですが、これだけ深みのある色を見せています。
俳優で例えるなら竹之内さんや妻夫木さんみたいにもう出来上がっています。
端正でなく完璧なんです。
届いた時はあまりのインディゴブルーのよさに狂喜したものです。
しかし、それでも自分が11年前に見たファースト(506XX・たぶん1930年から50年製、大戦モデルではない)には負けます。
現物写真がないのは残念ですが、
こんな感じです。
勝手に使ってすいませんが、これは1998年ころのブーンという雑誌からページで切り抜きました。
この506には18万円位の値がついてます。自分が目撃したのはもっと濃かった気がしますが写真ではなんとも、、
有名な原宿ベルベルジンにあったそれは信じられないほど美しく黒く濃かったんです。
わなわなしました。
まるでドラマ若者のすべてで、長髪になったキムタクを見た時のような衝撃ですかね(わしゃあゲイか!違うんですがジーンズはどうしても男優に例えたくて)
んあ~
完璧でなく最高なんですよ。最高の前には若者といわず人類のすべてがひれ伏すんです。
傷だらけの天使のショーケンとか探偵物語の松田優作とかジェームスディーンとかパイレーツオブカリビアン1作目のジョニーデップとかね。
初期型ファーストなのにたった8万8千円(当時濃い1stは相場15万円超)ホントに欲しかったですが買えませんでした。
今は後悔しています。
自分はブランド問わずいいジーンズは壁に吊るして毎日眺めては癒されるので、眼福というのか、、絶対損は無かったでしょう。それだけは失われし10年ですね。
あしたのジョーか、、、、、、、
ブームのメインだったボトム501XXでこのクラスの色落ちを探すならたぶん今でも70万円はするでしょうね。自分もお目にかかった事は古着屋のショーケースやディスプレイですらありません。
リーバイス社でもたかが労働服にこんな価値が出るとは夢にも思わなかっただろうし、その色に惚れ込んだアメリカ人も皆無だったでしょう。
いたらヘンタイ扱いだったでしょうね。
XXの美はあくまでも振り返って見たら、という偶然の産物なのですね。
だからどうしてもリーバイス、、、なんでしょうね。
現代人が手塚治虫より尾田栄一郎が、あるいは長嶋よりイチローが偉大だ、と思うのはいたしかたないです。実績からしてそうでしょう。
自分も老いた野球人がバッターボックスに立ち、ピッチングマシンで高速の球を投げさせて、伝説の戦中戦後の名投手沢村栄治の球速をおしはかる、という企画をテレビで観て、絶句しました。
150キロ「うーん、まだまだ」160キロ「む、いや、沢村はこんなモンじゃないぞ、、」165キロ「おー、同じ位だ。沢村だ」
沢村栄治165キロだそうです。
アホか!
んなわけねーべや
当時の映像を検証すると、、、素人目にもせいぜい135キロです。当時はそれでも凄いと思います。高校時代の江川でも145キロ位ではないでしょうか。
思い出と相まったヒーローを賞賛する時は、周りのヒンシュクを考えよう、と肝に銘じました。「石原裕次郎?ブチャムクレやん。どこがハンサムなん」という客観性です。いや裕次郎大好きですが。
藍マイヒストリー①
Gパンを初めて買ったのは中3(1971年)の時です。
ジーンズでなくGパンです。
エレキギターの神様といわれた寺内タケシ率いるバンドのバンド名ブルージーンズがいったい何を指してるかはたぶん世間的にも知られていなかったんですね。
このバンドはファッションリーダーとはほど遠い、きわめてムード歌謡曲臭のあるバンドでしたから(なんと活動中!)だから本来のブルージーンズという言葉は永い間、たぶん誤認識を怖れて服飾業界で使われなかったと思います。
ワンピースが女性の服なのか漫画のタイトルなのかくらいのイメージギャップですからね。
結成11年後の1973年に登場したのがジーンズ刑事でなくジーパン刑事だったという事がその証拠ですか。
じーぱんとしんこはね、、、
[ブルージンの子守唄]という曲を出しています。やはりブルージーンズでなくブルージンです。
自分はどうしてもアメリカ人が履いてるようなGパンが欲しくって、、、当時は立川米軍基地の名残りで、立川には外人が多かったんです。
訪ねたのは一橋学園にある放出品も扱うような小さな洋品店です。カクタスとかビッグジョンの看板が妙にバタ臭くて、意を決して入店、ボブソンのブルージン(笑)ストレートタイプを試着ののち買いました。
カクタス! なんか好きでした。これは37インチ!
ボブソンは3千円位だったと思います。嬉しくて大人になったような気分でしたが、ケツ合わせジャストフィットで32インチは、あとの部分がゆるくて様にはなりませんでした。ケツの大きさだけ大人だったんですね。大事にしていたんですが、さすがにとうに親に捨てられたようです。
7年前にヤフオクで3千5百円でゲットした、おそらくその当時のモデルを入手しました。
スリム仕様です。赤ミミです。それにしても、これだけの時を経たというのにバナナと豆腐と卵とジーンズの安さには驚きます。
今でこそボブソン(倒産!)やビッグジョンやエドウィンはなんかみじめな地位ですが、自分が高校の時分はリーバイスを超えて最高峰でした。
と、いうよりリーバイスはあまり店に置いてませんでしたし、興味も出なかったですね。ちゃんと注目していればビッグE(このあとLEVISという赤いフラップがLeVISに変更)と呼ばれる最後の大物をしこたま買い溜めできたんですが、、、
この時代のリーバイスの存在は今のハーシーズチョコみたいなイメージですか。
本場っぽいのに食指が動かない(失礼)
国産品のようには控えめで洗練されていなくて、甘くて臭くってね、、、スイマセン。
なぜ20年経って、オールドリーバイスの価値が急上昇したんでしょうか?
この辺は章を変えて後述したいですね。
中学卒業です。左から2番目です。
ともかく3社の後にマッキャンベル、カクタス、ビッグストーン、キャントンなんてブランドがひしめいていて、高1の頃(1972,73年)は2ヶ月に1度吉祥寺のアーケード街わきの横丁にあるGパン専門店にチェックに行くのが楽しみでしたね。
昭島にある自分の高校はなんと私服だったんで、したり顔で入学式から黒いスリムのGパンを履いて行きました。
いわゆるツッパリという不良や先輩や朝鮮学校(近所)の人たちによく絡まれなかったものです。
サル山のボス争いみたいに1972年頃の東京は殺伐としていて、駅にはたいがいワルがたむろっていました。
ウンコズワリ、、、、、、
自分は不良ではなく、ほとんど喧嘩した事のないいわばヘタレ野郎なんですが、とてつもなくいかつくて怖い老け顔だったんですね。その上私服だから、どうもすでに高校生に見えなかったみたいで難は逃れてました。
この風防でオフロードです。ホンダSL175。高3時ですねブラックジンにスイングトップです。スイングトップは立川でけっこう捜しましたがなかなか無くって、やっとダサい用品店で買ったこいつは、、、ゴルフ用みたいです。
こ、これは現在!
新入時黒いジーパンで登校した、と書きました。
しかし担任に朝礼後、友人中谷君と二人残されたんです。
「そのズボンは何だ」と。数学教師池谷先生(推定36歳)は激高していました。「それはジーンズパンツといって、戦勝国米軍が持ってきたモノだ。多くの日本人のヒンシュクを買うし、相応しくない!」
これはイージーライダーが公開された後の敗戦国日本で起きた本当のエピソードなんです。
「でも校則で禁止されてないですよね」と、自分。「校則以前の問題だ」池谷先生は譲らず、言い放って去りました。
「ジーンズパンツだってよ。ダセー」と友人.「あいつの着てる背広だって江戸時代の日本人から見たらヒンシュクだろ?]と、自分「でもどうするよ?」
自分はどうしても納得がゆかなかったので、翌日学校の長たる校長に直訴する事にしました。
校長先生は「Gパンが高校生に相応しいかどうか、、、個人的には相応しくないと思うが、それは君らの自由だ」と言ってくれたのです。
報告した後の池谷先生に苦虫を噛み潰した表情は忘れられません。ちなみに数学はずっと1でしたが、これは自分の能力のせいです。
そんな因縁の池谷先生と立川のホテルにおける同窓会で35年後に劇的な再会した時を果たした時も、、、、、やはり自分はGパンだったんですよ。
コレですだ。
これは全部が自分の改造ではないんです。9年前にヤフオクで写真を見て惚れ込んで購入した(5千円位だった記憶が)リーバイス501XXの復刻版です。
所々赤布で補修してある、、、出来栄えにいたく感心し、前任者の意思を受け継いでその方向を推し進めた感じですね。これは良く色落ちしたデニム地に派手な色がマッチする事を教えられた一品でありますね。ただし随所に布用ボンドが施してあるんで、怖くて洗っていません。
でも着用はここぞ、という機会だけだから3回位です。
同窓会で先生に昔の、例のエピソードを話しました。「僕、懲りてなくて今日もホテルのパーティでジーンズパンツです、、、」推定70歳の先生はニコニコ笑ってるだけでした。
表面は和解しても心の中ではこうでしたね。『あの時、僕は先生が憎むべき大人社会の弾圧の象徴でした。そして高校にジーンズを履き続ける事で父親世代に抵抗しました。ゴメンナサイという気持ちは今もないんですよ』
自分はとにかく表現を制限される、という抑圧が我慢ならないんですね。
勿論冠婚葬祭に於いてはジーンズでない黒服上下を着用、というジョーシキも心得ていますが、、、、、、
人を不快にさせる格好はいけない、という定義は俯に落ちないんです。
なぜ危害を加えられてもいない他人の服装に勝手に不快になるんでしょうか?表現の自由を認めないからですよね。
洋服ごときで、人格否定されたくない、と思っちゃいますよ。
でも町田康さんがエッセイで、上下軍服を着た女性インタビュアーの来訪にはさすがに苦言を呈したくなった、というエピソードを書いてらしたを読んだ時には大笑いしつつ共感しました。
苦言をせずに手酌で酒を組みかわすうちに「拙宅はまるで兵営と化した」そうです。
ファッション雑誌に載っていたあの1ページのコメント(たぶんヤマモトヨージ論)は今もってマイベストエッセイですね。
自分の主張と矛盾してるようですが、違います。
肝心なのは許す、という事だと思うんですね。
家族以外のヤツに服装でケチつけられたかねース。
好きこそ物のジーンズなり
思えばオタクでもなかった自分がどうしてここまでどっぷりハマってしまったんでしょうか?
実はチープ!上から下までで(シャツも靴も入れて)1万4千円です。
ジーンズは古着屋でエビス5800円、Gジャンはドゥニームのファーストで3700円。たぶん定価ならフリマで2000円で買った登山ブーツが一番高いでしょうね(推定3万以上)気が付くと上下合計でも三千円という日もありんす。
自分がのめり込んだ分岐点は案外最近で、ヴィンテージブーム最初期の1993、4年位なんですね。ミーハー丸出しですが。
横田基地フェスティバルに来ていた4人くらいの日本人の若者軍がフレアー気味のジーンズで闊歩してたんです。
当時自分はジーンズというとストレートでしたからビックリして後日調べたんです。
どうやら渋カジの彼らはバンソンの皮ジャンにリーバイスのビンテージ(フレアー517か)を洗わずに履く。いい色落ちをさせたいから洗わない。部屋では裾が汚れてるから裾をゴミ箱に突っ込んで置く。
ブーンだかの記事を読んで唖然としました。『こいつらは洗脳されている。洗わないと色は落ちないやろ』とおもいました。
たしかに自分も1982年頃、宝島という雑誌でジーンズマニアの色落ち薀蓄を読んで、リーの新品をリジットから半年履き込んだりしてたんですが、いわゆるいい色落ちにはなりませんでした。
失望です。
なんせその当時いい色落ちをしたジーンズを、街で見た事すら無かったんです。勿論眼力の問題もあるでしょうが、ビンテージはおろか縦落ちという言葉すらなかった時代ですから。
Gジャンは好きでリー202Jとリーバイス70505スモールeを1992年頃に所有してました。
両方古着屋で7千円程度でした。
でも今思うと2枚とも渋い色落ちが気にいって買ったには相違ないんですが、『年代の古いのに何十万も注ぐヤツがおるらしいが、哀れだな。大差ないやん』という心境でしたね。
ボトムに関しては自分が以前買った82s当時の現行モデルではダメで、旧式の力織機で織ったビンテージかレプリカでないと縦落ちはしない、という情報をようやく1993、4年くらいに知るんですよ。
それで、ハリウッドランチマーケットというレプリカを洗濯2回位の濃い状態で購入したんです。それで?
最初は別にどうも思いませんでした。渋カジみたいに(洗わないで)履いてたけどたいして良い色にならんし、興味が薄いまま洗濯機で洗いました。するとどうでしょう。現物がすでにないのでもどかしいですが、
ももの上あたり、ぼこぼこの藍の表面に浮かび上がるような白い点落ち群が出現したんです。
『これは、、、、海だ』
白く落ちる事で逆に青の深みというか深さが窺えるような、、、嗚呼、まるで上空漂うセスナより見下ろす大海原の光景です。
それは太陽光を反射しながら色みを変幻させるブルーの海面を彷彿とさせました。グランブルーですね。
ブルージーンズが他の色では有り得ない孤高の[青]であり続ける真理に勝手に納得したのです。
目覚めと言おうか気づきと言うべきか、、、、
くどいでしょうが、アップしていても自分はため息です。
洗わないといい色落ちしないのではなく、極力洗わずに履くと地味にしかも美しく縦落ちするんですねえ、渋カジ君。
我慢の限界でおもむろに洗うと縦落ち顕著になる、というカンジですかね。ただし汚れというか黄ばみなのか、茶色く変化したデニム地は青さが少し戻ります。
でも綺麗になって美しくなった、という程単純な問題ではないです。
最近3000円で買ったドゥニームです。66モデルらしからぬ見事な色(失礼)ですが、あまりに茶色いのでもしや1度も洗ってないかも、、、と思ってこの後、風呂で70sビッグE(やはり茶色い本物)と、ペアで足で押し洗いしました。洗剤と汚れとインディゴで緑灰色の水になった浴槽はある意味気持ちよかったです。ただ、洗濯後思ったほど茶色は抜けず、汚れというよりそういう加工が施してある可能性も。
まあ洗うと確実に濃紺度は洗濯で薄まるし、いざ茶色み(藍と合わさって緑っぽい)が薄くなると寂しい、、、、、ウーンこの状態の善し悪しは微妙ですね。
ま、それからさらにいいレプリカはないものかと三多摩ローカルの古着屋を捜しました。ドゥニーム、ジョーマッコイ、フルカウント、ウエアハウス、ドライボーンズ、リーバイス復刻、ヒステリックグラマーETC、、、
どれが秀逸だったかは新品から育てていないので名言できませんが、皆、自室にいながらにして太平洋を垣間見せてくれました。
うーん
いちがいに縦落ち度が粗い方が美しいとも限らない、という事も知りました。
あまり粗いのはワザとらしいんですね。501XX生地は縦落ちの肌理(キメ)が細かいです。見栄えは距離によるので、写真に撮った時には勿論肌理粗い方が映えるでしょう。
で、2~3メートル離れた位置からの判断となると(平常、他人が見る距離)XXよりドゥニームやエビス等レプリカ群の方が綺麗な縦落ちに見えそうです。
盲点というか、よく購入時に食い入るように接近して肌理を判断しますが、他人は普通そんなに近寄らない事を頭に入れるすべきなんです。また、太陽光下と室内照明下による印象の変化も考慮しないと。
ハリランです。最高ですね。これは5年前ヤフオクで1700円位でなにげに落札、届いて驚喜した思い出のジーンズ。ハリウッドランチマーケットはいい色落ちが多いんです。32インチで腹がキツいんで、Gジャンのサイドアジャストを切り、つないで前が留まる工夫をしてます(運動せえや)
ともあれジーンズ鑑賞は自宅の中の密かな小宇宙旅行といってもいいでしょう。とても目と脳が癒されるんですね。
一方Gジャン収集はゆっくりと色濃い70505スモールe、ビッグE(1970年頃の物)へと進化(深化)しましたが、レプリカと70sリーバイスのデニム地はゴワ感に差があったんです。
レプリカはきめが粗いから縦落ちが顕著です。つまり自分が感動したような明確な[海]はマイGジャンでは人に説明しにくいんですね。
すでに自分には地肌から海中の魚群が見えるんですが、、、、、、、、、
知人には「ジーンズメイトにあるのと一緒じゃん」と言われるのが関の山で
70505ビッグE(1970s)42インチ(L程度)です。557と大差ないですが、ぐっと安いです。かつては3万しましたがヤフオクで4千円弱でした。
最近、仕事場に来た母が目の前にわんさと飾ってあるジーンズ群(色落ちレジェンド達)を見て、「洋服ラックも無いのかい」とすぐに仕舞おうとしました。
Gパンを飾るという神経がわからなかったらしいです
おてあげ
岸が見えないこんな海洋まで来てしまったんですね、、、
手漕ぎボートで。
ブルージーンズ岩城滉一論
ブルージーンズといえば即答で寺内タケシ(バンド名・寺内タケシとブルージーンズ・1962年)か松田優作(太陽にほえろ・ジーパン刑事・1973年)か、というスゴい旧世代ですが(この両者は後述します)、、、、、
自分はまあ、異端のコレクターの部類でしょう。
マニアは収集量も情報もみなさん凄いです。工夫と発想だけはタダなので、自分は必ず行き当たるであろういくつかの壁を自分なりに割とたやすくクリアーしてます、、
金はかけずに。
上記のボトムは一見普通の折り返し(左)ですが、実は全く別のジーンズの裾を縫い付けて(右)ます。これによってなんと4センチのレングスアップです!簡単です。注意するのは裾幅と色目、ザラ感を合わせること。自分は捨てるジーンズは裾を必ずカットして保管してます。
なんと上記のドゥニームのポケットにリーバイスアーキュエットステッチの中心部みたいなのを縫いました。縫い糸も選ばず下書きもない一発ジョーク芸ですが、なんか土器みたいに地中からアーキュエットが片鱗を出したみたいな、、、写真では伝わらないですかね。
この501XX(1960S)は本物です。ケツあたりは色濃く、サイズこそ35インチですが極上なのに1万円でヤフオク落札しました。なんと下半分弱が薬品なのか、ズタボロに切れて紛失状態でした。で、似た色のレプリカと合体。手縫いと布ボンドでなんとか復活したブラックジャック君ですね。12時間かけました。
こんな事しちゃダメでしょ?と言われる行為もあるんですが、まあ違法ではないのでただの自由とGパンの履き違えですね。
手縫いでなんとかなる世界だからこんな遠い場所まで来てしまったんですね。
もう戻れないです。ついに靴やTシャツやウールの背広まで改造しちゃいました。
オンワード五大陸とは思えませんね。
いずれも2枚のTシャツの合成。色や柄が綺麗なTシャツは安ければ小さくても買います。
岩城滉一さんのようにあきらかにクールス時代より渋く、いい加齢をする俳優は少ないですよね。
一方郷ひろみさんは普遍的に変わっていません。ジーンZUKIとしては郷ひろみ的方向を目指さないんです。
履きこんで経年変化が劣化でなく逆に魅力を増す、というまさに中年を迎えた人が希望というか幻想をそこに見出す、そんな岩城滉一なGパンに出会ったら最後なんですよ。
3千円 のドゥニームです(第3章で出る茶色い極上66モデル)
これは洗ったあと。
たいていのマニアの人はジーンズを自分でリジット(新品)状態から育てて、気の遠くなるような時間と手間をかけて色落ちさせていきます。
それも楽しいんですが自分は人様が手塩にかけて育てた35歳くらいの岩城滉一を養子に貰って、53歳位、つまりキムタクドラマGOOD RUCKのパイロット役あたりの岩城滉一に熟成させて、殿堂入り(箪笥もしくは壁にディスプレイ)が理想ですね。
横着です。
と、いうのも自分もこの道永いですが、未だにリジットのジーンズが岩城な色落ちするかどうか割と見極められないんですね。
履いて洗ってみないと判らない。
むやみに洗ってもイカンし。
その点古着はもう一目瞭然ですから。
まあ岩城なのは高いんですが。
自分は今はレプリカ古着で9千円もしたらどんな極上品でも、もう買わないですね。
このエビスは古着屋で惚れ込んだ5800円の極上品です。でもサイズ31インチでした。自分は33インチ位なので諦めることも痩せることもせずに、買って改造して履いてます。股部分に違うジーンズの股を当てて、7センチは稼ぎました。やはり手縫いです。もう痩せる思いです、、、嘘です。
勿論レプリカのメーカーの血の滲むような苦労に敬意を表す気持ちはありますが、まあ愉しみ方は自由なんで自分は2万のレプリカジーンズを新品で買った事は無いです。
ジーンズに限らずメンズファッションてモンは突き詰めるほど厄介なモノだと思います。
男のカッコよさを求めていたはずが、突き詰めるとその一線を軽く越えてしまう。
つまりわざわざカッコ悪いモノを選んで悦に入って、誰もその洋服の価値やコーデに気づかない事すら『愚民どもめ』喜ぶ、なんて本末転倒な事態になったりするんです。
そもそもヴィンテージジーンズって40~60代には似合わないですよ。
言えてる
うす汚い男がうす汚い服着てるんですから。前に漫画の企画でホームレスの方がリーバイスXX大戦モデルを履いている、というシュチエーションを考えました。誰も足を止めない位、完璧に違和感ない風景でしょうね。
経験上、悲しいかな良いジーンズを着てる人の男前が上がる事はないんです。
自分も例えばドンドンタウンで500円のワイシャツを取っかえ引っかえ着てると「いつもセンスいいわね」なんて言われるのに仕事絡みの飲み会にヴィンテージぼちぼち初期型リーウエスターナーで勇んで出かけたら先輩に「いやー、クリエイターはそういう無頓着なスタイルでいいんだよ」と同情されるという、、、(苦笑)
リーバイスサード(557)に至っては所有8枚はあるので、毎日、しかも1日3回別の557に着替えようが(実話です。Gからなんか着て貰いたい嫉妬目線を感じて、、、贔屓してないよ、と平等にね。愛人を沢山持つ男の苦労がわかりました)
色落ちなんちゃらなんて全く眼中ない周囲からは着たきりスズメの地味男にしか見えないんですね。
自己満足、、、いやせいぜい愛車でもペットでもなく[青いの]をいっぱい飼ってる(囲ってる)感覚ですか。
本物の506XX(シンチバック初期型)です。1930年代あたりの逸品で色も濃くサイズも38~40インチでジャストです。3年前にヤフオクで6万8千円(安っ)でした。ボトムはフルカウントにペンキ飛ばしました。コッチは6千円とペンキで2千円
人間のスケール的にもかつてゲバラに憧れ社会変革を夢見ていた(自分はその弟世代だから無行動なんですがね)少年のなれの果てと考えると、ほとほと自分が嫌になったりします。
カッコいいを目指してコッケいい(滑稽)になる。でもポジティブに、、、もう自分は趣味でなく、、、、業(ごう)だと思ってますよ。
「君たち女の子、業!業!」、、いや
「やる気!元気!岩城!」ですね。
蒼井優より好きな蒼い友人(YOU JEAN)
最近きれいに色落ちしたジーンズを召した中高年(65歳位)をカインドホームで見かけました。
思わず『ほお、、、やるな』と剣豪よろしく全体をチェックすると、サンダル履きでワイシャツインでオシャレとはほど遠いんです。無論自分以外誰も注目していない。
これは、、つまり縦落ちデニム地が庶民レベルというか無関心層まで浸透した証しなんでしょうか。でも全く嬉しくないです、、、もの悲しい。
大事なのは美意識なのです。それも特権的な、、、、、。
栄枯盛衰というのか時代はレプリカジーンズではなく綺麗めスリムみたいですね。いや、それもいいんですが、、持ってますしね。
今、縦落ちデニムの素晴らしさを人に伝えるのはJAZZの巨人マイルスデイビスの良さを平成人に伝えるのに等しい難しさですね。
両者に共通するのは、、ハマると抜け出せない泥沼感もさることながら、、、、
ツラい
代替えのきかなさにあると思います、、、代わりになるものがどこにも無い。
自分にとっては食品嗜好品界におけるコーヒーとタバコ(止めたが)とビール(発泡酒にしたが)がそうです。つまりジーンズはすでに洋服の中の1ジャンルではなく確立された[心の隙間を埋める何か]なんですよ。
だからジージャンの膨大な所有数をもってオシャレだねなんてと言われると
『オシャレする時ゃGパン着ねーし』と声高に(心の中で)反論しますね。
Gジャン20着、ジーンズ30本(内ヴィンテージ率5割)ですか
最近レプリカジーンズやヴィンテージジーンズ安いですねー。
老害なんでしょうか、58歳にもなって高価なヴィンテージならまだしも、金欠時でも2千円以下の古着レプリカジーンズを探してドンドンダウンをうろつくのはどうなんでしょう。そこに大義はあるんでしょうか?わかりません。
病膏肓(やまいこうこう)とでも申しますか、、還暦には旧織り機で織ったデニム地の赤耳ちゃんちゃんこがいいですね。
まじか
ジーンズを履かずに飾るのはおかしい、とかヴィンテージだって汚れたら洗う、とかいわゆる男前な正論は自分は言わないです。
見るからに凄いオーラの507XX(38インチ)ですが復刻です。評判悪いL社復刻なのになぜか最高の色落ちです。自分の持ってる本物たちに負けてません!なんと2ndブームで2300円でした(悲)ヴィンテージでないのに皮肉にもこれだけは周囲に褒められます。要らないジーパンのベルトまわりの生地を継ぎ足して、4センチ伸ばしました。着ると一番いい着丈です、L社さん。
飾って眺めるのを馬鹿にする方にこう言ってやりたいですね。
「オメーらこそキスもできないAKBのポスター貼ってるじゃねーか。コッチはなあ、フフフ、、何となりゃ履く事もできるんだぜぇ」
ホントに還暦を目前にした壮年の言動なんでしょうか(虐)
ふぉろーできない
そもそもヴィンテージにはインディゴが濃いほど重宝される、という清潔感に反比例する宿命的事実があるわけで、そういう履く派の男前たちにはネバダジーンズと呼ばれるリーバイスの初期1890年頃の歴史的遺産(600万円以上か)をプレゼントしたいですよ。「さあ洗ってみぃや、履いてみ!」という意地悪な心境です。
自分はヴィンテージ物を洗いたくないあまりに『そうだ、数とローテで乗り切ろう』と思いたち、結果Gジャン20着も持ってます。まあ臭くなったら洗いますケドね。
どうやら生涯をかけての趣味となると、自分には水泳と読書とバイクとGパンだけが残りそうです。格闘技(見るだけ)スキー、スノボ、音楽(聴くだけ)映画(観るだけ)は打つ鞭を手加減するほどの老骨ぶりです。
自分はこの生涯の蒼い友人(YOU JEAN)の魅力をとくと語ってみたいんです。
調べたらドゥニーム代表レプリカジーンズの始祖、林氏と同い年です。エビスの山根氏はなんと年下です。FREE&EAZYの小野里氏は1歳上ですか。
でも皆さんリッチそうです。
みじめなので最初は歳を伏せて書こうとしましたが、無様でも誤魔化さない方がユニークなのだと思い直しました。
自分がもし死んだ時、こんな事にうつつを抜かしていたんだとバレるのが嫌だったんですが、それもアリかな、と思い直しました。
ナシ!
[自分の宝は人のゴミ]と言いますが、それを見せてくれた相手の顔を見るとイラつくかほっこりします。自分はほっこりさせられる気がしたんですね。